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 虹

湯河原に来て山々を歩く散歩の醍醐味を覚えた。このころ散歩のお供に先代のスタジオアイドル犬トトがいつも一緒にいた。雨上がりの散歩道に虹がかかるのを度々カメラにおさめたことを思い出し、今度のアルバムジャケットにとデザインしている。

エレクトロニカのサウンドがいくつか出来てきたのでbandcampに上げ始めようと思う。そのジャケットにどうかと思って。。

同じような年代のミュージシャンがなんにんも逝ってしまう。せめて彼らが残した作品とその時代をもっともっと知りたいと思う。

合掌

春酒

昔、台湾にいた頃の話。旧正月が明けた頃にそのシーズンがやってくる。「春酒」チュンジョウ。家族や会社の従業員が集い、あっちゃこっちゃで新年おめでとう快楽の大宴会が模様される。普段は焼き鳥屋で帰りに一杯なんていう習慣がない台湾の人々も、このときとばかり乾杯カンペイの嵐である。一応いっとくと、台湾でも忘年会(尾牙)はあるし、会社ではその規模は結構大掛かりに開かれる。ということで、春酒のシーズンに開かれる接待をしたりされたりした後は、もう肝機能はボロボロである。

昨日、昔の仲間を招いて隣の公園を望みながら花見を行った。美味しいワインと相方の手作り料理、そして最近はこれで酔えると愛飲しているハイボール缶でカンペイ!カンペイ!で楽しい時間を過ごした。でも、不覚にもちょっと飲みすぎて、夜の7時前には寝てしまった。朝がたに目が覚めるまで、台湾の乾杯の嵐のシーンをどうやら夢で見続けていたような気がする。そんなことで春酒のことを思い出した。でも、楽しかった!

ロバートフロスト

The Road not Taken、アメリカ人にもっと愛されている詩だそうだ。昨年末に朝日新聞の折々のことばで紹介されいたので、その切り抜きを探していたら、財布の中から出てきた。

小生のアンビエントの初期アルバムにも僭越ながらこのタイトルを拝借した。先日、外国のかたが5年近く前に出したこのデジタルアルバムを購入してくれたので、詩のことを思い出した。

The road not taken


Two roads diverged in a yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,
 
And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black. 
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
 
Two roads diverged in a wood, and I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.
          
<和訳>
「歩む者のない道」

黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている

それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど

あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた

いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔 森の中で道が二つに分かれていた。
そして私は… そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか

(川本皎嗣訳)

この歳になってみれば、選択しなかった道のことに、今更、思いを巡らせることはあまりないが、ときどき、おかしな夢を見ることはある。不思議なことだ。

音くん3歳、ほんと毎日元気です!

 

今日は雨。そんな日の朝は、家のなかがドッグラン状態となる。ひとしきり運動したあとは、しばらくここで休憩。たまたまとおりかかったら、「そろそろだよね!」だって言われた。

 

 

ジャックは、いつもいつも!お腹をすかしている。「なんかください」とおねだりしているときの目はかならずキュンとしている。こいつが、やばい。気をゆるすとおねだりがエンドレスとなる。

エレクトロニカ

「まずは模倣してみることだね!」とスタジオに来たある方から言われたことがあった。エレクトロな音楽を作り始めた頃の話である。とにかく多種多様な電子楽器やプラグインを駆使して、なんちゃってな音作りを目指した。同じ方からさらに「模倣するのは、くれぐれも自分が聴いて気持ち良いものだけね!」とも言われ、で、行き着いたのは、坂本龍一氏の「async」を経由してのアンビエントだったような気がする。

今年に入って一番聴いたのが、細野晴臣と高橋幸宏のスケッチショーとMs.John SodaのLoom。とにかく毎日のように聴いている。10年も20年も前の音を模倣してみようと思い立ったのは、ここらで新しいことをやってみたくなったからだと思う。でも、まずはマネからね!でも奥は深そうだ!!

GPTくん、やるやん!!

さっそく先のブログ記事(けっこうくだけた感じで書いた)をChat GPTに英訳するように聞いてみた。結果、ものの10秒で翻訳完了。その様子は、まさに未来のスパイ映画のようであった。すげえそ、こいつは。

Here’s the English translation:

There was such a remark: “So, how’s the degradation of your CPU?” It was a question not about the memory device, but about the processing device.

My central processing capacity has been evolving since I was born, but since I passed 50 years old, I’ve been using the same thing for about 20 years. In the last 20 years, the amount of information has increased tremendously, and the processing speed has become less than half of what it used to be. It’s disrespectful to try to compete with young people with this.

While I was thinking about this, I learned that the world is rapidly moving towards AI. This is it. A big helper that can cover the lack of knowledge and skills is starting to appear in the world.

I’m starting to feel that playing around with these AI assistants is the most interesting thing to do in my remaining years.

First of all, I’ve been using Chat GPT like crazy for the past week. I’ve become quite addicted to it.

CPU

こういう指摘があった。「では、あんたのCPUの劣化具合は?」記憶装置ではなく、処理装置の具合はどうか?との質問である。

私の中央演算処理能力は生まれてから進化は続けてきたのだが、50を越えたくらいから、かれこれ20年くらい同じものを使っている。で、この20年くらいで情報量が半端ないくらいの量に増え、処理するスピードは半分以下になってしまっているのが現実だ。これで、若いもんに太刀打ちしようってのが不尊てなもんだ。

なんてことを考えていたら、世の中がAIに急激に動き出していることを知った。これだよ。これ。知識の足りなさや技能の低さをカバーできる大きな助っ人が世の中に登場し始めている。

余生は、こいつらと遊びまくるのが一番面白えや、と感じ始めている今日この頃。

まずは、と思い、この1週間くらいChat GPTを使いまくっている。これには結構はまってしまった。

ROMRAM

昨年末から、ああでもない、こうでもないと延々とミックスを繰り返してきた “into the hole” をリリースした年初、体の不調もあり疲れ切ってしまった。それから、なにか新しいこと(これまでやってみなかったこと)を見つけたくて、けっこう無駄な時間を過ごしたような気がする。

それは、自分の知識を引き出す「引き出し」(ROM)があまりにも不足していることと、知識を新しいものに変換していくテーブル(RAM)があまりにも狭かったことをこの歳で知ってしまった、ということを意味する。

ROMはある意味、電気が切れても残っているが、RAM自体は動作をやめてしまう。

不定期であるが、しばらくは、ぼくのROMRAMにお付き合いいただくとする。

OTOもTOTOもときどきアップデートしますのでヨロシクです!